私は我慢が出来ず、校長室へ向かった。
「ミーティング、うまくいったか?」
この校長は、バカか。
あんな学年主任のいうことを信じるのか。
私は一連の不可解な学年主任の動きを伝えた。
「当事者に意図を確認もせず、秘密裏に特定の生徒に事情を聞く」
「多くの肯定的に感じていた生徒は無視し、1人の否定的な生徒の言葉で動いた」
「ゲリラ的に学年会を行い、当事者はもちろん他の者に意見を言わさないようにした」
「否定的なのは1人で、ほとんどの生徒は肯定的であることにミーティングで気づいたはずなのに、自分の早とちりについて謝罪もない」
私は、事実だけを伝えた。
だが、学年主任の言葉を信じきっている校長は私の話に耳を貸さない。
「他にも聞いてるぞ。忘れ物した生徒を責める必要あるのか!」
はぁ?忘れ物したら、怒られる。当たり前やろ。
「主幹教諭として、若い先生の見本にならなあかん立場やぞ」
はぁ?1人の生徒の話を聞いて、それを信じきった学年主任は、見本どころか、反面教師やぞ。
お前も、学年主任1人の話だけ聞いて、何をわかったかのように、指導してるんだ。
怒りというのは、まだ希望があるときに起きる。
相手に想いをぶつければ、分かってもらえる、
そう思ったら、訴える力が湧いてくる
しかし…だ。
言っても、ダメだ。
そう思ったとき、人間は絶望する。
そして、やる気が無くなる。
私はまさに、このとき、そういう状態であった。
半年が過ぎた頃、ある人がこんなことを言ってきた。
「あのとき、目が死んでましたが、何かあったのですか?」
まわりが気づくほど、私は死んでいた。
目はもちろん、心も、だ。
「いじめ」は恐ろしい。
やる気も元気も生気も失わさせる。
やった側は、そういうつもりでは、いないだろう。
だが、断言できる。
いじめるつもりがなくても、下手なやり方をしたら、時としていじめになる。
校長に訴えた日。
校長から話があったのか、学年主任が話しかけてきた。
「あの生徒だけだったんやなぁ。あんな言い方するなんて、担任さんに指導してもらったら?」
本当にバカだ。
お前が言わせたのに。
その生徒のせいにするな。
全ての原因は事実確認をちゃんと出来ないお前の手腕だ。
私は、再び、怒りも起こらず、絞り出した。
「もういいです」
私の目に力が戻ったのは3週間後。
そして、私の反撃が始まる。
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