#9 3度目。校長の理不尽・差別。もう呆れるしかない。

01 黒歴史

赴任してきて1年目。
私は懸命に頑張った。


崩壊していたクラブを建て直した。

学年主任の代わりをした。

生活指導担当の代わりをした。

学年主任と校長による「理不尽な扱い」
中学校という地獄の始まり

校長による「差別的な扱い」
意味不明な校長の差別
乗り越えた。

腑に落ちないところは多々あったが、
手応えを感じつつ、私は1年目を終えようとしていた。

さて、1年前。
私は校長に言われていた。

「1年後には学年主任」

私はそのつもりだった。

1月頃からは、この学年の建て直しについて
計画を作っていた。

今年は、クラブを建て直し、
来年度は、学年を建て直す。

私の目標は明確であった。

ところが・・・である。

私は「学年主任」になれなかった。

校長曰く

「協調性に欠ける」

からである。

あんな理不尽なことを私はされた。

なのに、私自身に

「協調性に欠ける」

人の仕事まで、させられ、

その挙句、これか。

私は同僚に愚痴った。

「学年主任が言うべきことを言わず、

その代わりに言ってくれていた。

それを『協調性に欠ける』なんて

校長は、全くわかっていないですね」

異口同音であった。

私に対する気遣いはあるだろうが、

誰もが「学年主任」に対する不満を持っていた。

これではだめだ、と思い発言する私。

それを鬱陶しく思う学年主任。

学年主任が校長に愚痴る。

そして、私は

「協調性に欠ける」

ここに正義はないのか。

同僚が言った。

「校長は学年主任の言うことしか聞かない」

「校長はあなたより、学年主任をとった」

その通りである。

私は1年間、不当な扱いを受けた。

でも頑張った。

そして、この仕打ち。

もう呆れるしかなかった。

人間というのは失望があるレベルを超えると

怒りさえ起こらず、

ただただ、脱力感。

本当に、この1年間はなんだったのだろう。

私の教師人生の晩年。

全く、意味の分からないことばかりの1年が

終わりを告げた。

3月末日 校長は本校を去った。






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