「挨拶文の作成」
国会の答弁の様子をみて、知っている人も多いであろう。
あの原稿は、答弁をしている人が作っているわけではない。
原稿を作る担当がいる。
いわゆる事務方だ。
都道府県で言えば、知事の答弁や挨拶。
教育委員会で言えば、教育長の答弁や挨拶。
最終的に承認するのは知事や教育長だが、実際に作るのは別の人だ。
教育関係の知事の答弁や挨拶、教育長の答弁や挨拶は、教育委員会の指導主事らが考える。
「最恐」
と言ったのは、完成するまでの道のりの長さ。
前回登場した「デキル人」は、私が聞いたとき、既に3ヶ月が経過していた。
つまり3ヶ月経っても、完成していない、ということだ。
冊子などで、知事や教育長の顔写真と挨拶文。
顔写真はもちろん本人だが、挨拶文は指導主事の汗と涙…いや、苦しみの結晶。
私はそう思っている。
なぜ苦しいか。
それを説明するために、この手の業務を分類してみよう。
まず、知事か教育長か。
この違いは大きい。
例えば、知事。
そうなると、道のりは果てしない。
「デキル人」の3ヶ月もこれだ。
さらに…挨拶か、冊子などに活字として残るか。
当然、活字に残る場合は、厳しい目で見られる。
知事であれば、都道府県に関すること。
教育長であれば教育に関すること。
知事の方な規模が大きい。
規模が大きいということは、作った答弁や挨拶の文章を、チェックする人が多いということだ。
例えば、「デキル人」の場合。
知事による、ある学校の創立記念イベントの冊子の挨拶文。
まず、挨拶文を作成する。
まずは係長が見る。
次は班長。
そして、課長。
まだ続く。
この案件は別の課も関係しているから、その課の係長、班長そして課長。
さらに…総務課。
教育委員会の統括をしているからだ。
そして…次長、副教育長、そしてようやく…教育長。
これで、ようやく教育委員会を突破。
そして…知事の関係へと上がっていく。
果てしない旅。
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