#12 指導教諭2年目 内緒の仕事

00 序章

指導教諭2年目。
私は結局
「6年担任で指導教諭」
となった。

学校のこともしなくてはいけない
さらに、指導教諭のことも。

少々、不満に感じたが
決して嫌いではない。
期待されるのが好きだからである。



そんな指導教諭2年目の私に舞い込んだ仕事。
それは教科書採択であった。

教科書を採択、つまり選ぶ。
社会科の教科書については、第二次世界大戦などの記述について、
メディアに取り上げられることがあった。
(最近は聞かなくなったが)

当然、小学校の各教科において、どの会社の教科書を使うか決めなければならない。
こんな仕事も指導教諭に来るのか、と思いながら会議に参加した。
当然「教育用務」という形での参加である。

今回は6つの教科書会社から1つを選ぶというものであった。
具体的にいうと、5つの教科書の良し悪しを会議で報告。
それをもとに教育長や保護者の代表が審議をし、決定するというもの。

小学校の担当は3人。
つまり、一人2教科書について、内容を見て、報告書にまとめる仕事である。

前年度の「ワークシート」よりは楽な仕事。
そう思った。

ところが、である。
忘れていた。
私は「6年担任」であったのだ。

6年担任は自分のクラスのことだけでなく、
学校全体のこともしなくてはいけない。

しかも、もう一人の担任との相性が悪い。
簡単にいうと
「嫌い」
なのである。

だから、ストレスが溜まることが多かった。
普段の授業では、自分のクラスのことだけをしていればいいのだが
行事となると、そうはいかない。
相談したり、協力したりしなければならない。

私は、そういうのが苦手だ。
他の人より、
「細かい」
「計画的」
である。

だから、一緒に仕事をすると、相手の人にはありがたがられることが多い。
「細かい」ことを「計画的」にするからである。

ところが、この年の相担(同じ学年の担任)は
「仕事はしない」
でも
「感謝はしない」
そんな人であった。

「感謝しない」
どころか
「認めず」
「悪口を言う」
と言う人。

前の学校でも3年間で異動するという
「困った人」
であった。

そういう人とうまくやっていく人もいるが、
私は決してそうではない。
「戦ってしまう」人間だ。

そんな状況で舞い込んできた「教科書採択の仕事」
仕事量としては、大したことはなかった。
それはラッキーだった。

さて、そのような状況で進んでいった教科書採択の仕事。
最後の会議となった。
この最後の会議で、6つの教科書のうち、どの教科書がいいか、判断してもらう。
そのために報告をする。

最後の会議を前に、まとめ役から相談があった。
「それぞれ2つの教科書を担当してもらいました。
 でも、次回の会議では6つすべての教科書の報告をしなくてはいけません。
 『ゴリ押し』はできませんが、6つの中でどの教科書を採択するのが妥当なのか
 正直に思うことを言ってください。」

私は、
「なるほど」
と思った。

調査員の3人は、分担されて与えられた教科書について
報告書を作成するために、詳しく調べた。
しかし、1つに決めなければならない。
「自分が担当した教科書がどうなのか」
ではなく
「どれが採択されるのが妥当なのか」
それをみんなで決めておこうと言うことである。

そして、1つの教科書に決めた。
私の担当の教科書ではなかったが、満場一致で決まった。
しかし「ゴリ押し」してはいけない。
それぞれの良さを報告した上で、
みんなで選んだ教科書が採択される。
そのように持っていくことがベスト。
そう確認して、最後の会議に臨んだ。

さて、最後の会議。
私は、自分が担当した教科書について報告した。
我ながら、いい報告ができたと思う。
採択を判断する採択委員の反応もいい。

ところが、である。
予期しないことが3つ起こった。

まず1つ目。
みんなで決めたベストの教科書。
それの担当者が、その教科書についてアピールできていない。
当たり障りのないことしか言えていない。

そして2つ目。
まとめ役から、メモが回ってきた。
「発言は控えてください」
•••喋りすぎたのだ。
それにより、みんなで決めたベストな教科書の良いところが霞んでしまっている。

「もう、発言は控えよう。アピールはやめよう」

そう思い、発言を控え、ベストな教科書の担当者がいくつか発言し、盛り返してきた。

「もう、これで良いだろう。みんなで決めた教科書の良いところが審査員の印象に残って終わりだろう」

と思った時に予期しないことの3つ目が起きた。

それは、保護者代表が起こした。

「最後に一つ聞かせてください」

教育長や教育関係者は、わたしたちの思いを感じてくれたのであろう。

「後半は、この教科書についてアピールしてきているから、このメンバーとしては、この教科書を推しているんだな」

と。

ところが、そんなことを知らない「保護者代表」
前半の私のアピールが印象に残ったのであろう。

私が担当した教科書について、もう一度聞きたいと言ってきた。

「もう終わった。これで私たちの予定通り」
と思っていた私は焦った。

「ここでアピールしたら、予定が狂う。しかも、発言を控えるように言われていたので、何も考えていない」

でも、発言しなくてはいけない。

私は、発言した。
しどろもどろになってしまった。

結局、私たちが推した教科書が採択された。
しかし、私にとっては、少しほろ苦い思い出となった。





コメント

タイトルとURLをコピーしました