指導教諭1年目。
自分の学級が落ち着いてきた頃、
大きな仕事が舞い込んだ。
「崩壊した学級の建て直し」
若手の先生の学級が崩壊していたのだ。
その兆しは夏休み前から耳に入ってきていた。
その学級は1年生。
何人かの児童がなかなか落ち着かない。
入学してからよくなるどころか、
どんどん悪くなっているらしい。
夏休みを終えて、9月。
そのころになると、その学級のことは
耳に入ってこなくなった。
それは、良くなったのではなく、
別の学級が崩壊したからだ。
まさかのベテラン学級の崩壊。
二人の児童が教室に入れず。
その対応は管理職があたった。
ところが改善は見られない。
その学級が6年生だったこともあり、
学校全体が大きく揺れ始めていた。
「6年生があんな様子だと、他の学級にも影響が出る」
「管理職は何をしているんだ」
職員室では、心配と、ベテラン教師と管理職への不信の声が渦巻いていた。
この騒動の影に隠れて、若手の学級が崩壊へと進んでいた。
「なんとかしてもらえませんか?」
管理職は当てにならない。
でも、学級が大変な状況。
このままでは、私たち自身も限界が来る。
支援員たちのSOSだった。
私は管理職に伝えた。
「指導教諭として、できることをしたいです」
翌日から、その学級の授業を見にいった。
3回みた時点で、私は確信した。
「このままでは、悪くなる一方だ」
まず、感じたこと。
それは、数人の児童と、担任の関係が壊れていること。
①授業が楽しくない。待たされるなど、我慢をする時間が多い。
②我慢ができなくなて、落ち着かないと、先生に注意される。
③注意されると、腹が立ち、ますます落ち着かなくなる。
これの繰り返し。
完全に悪循環。
そして、担任自身も
「あの子たちが言うことを聞かないから」
これの一点張り。
結論として、「担任ではない先生の授業を入れて、楽しい時間を作る」
はっきり言うと、「この担任にアドバイスしても、今の状況から抜け出すのは不可能」
実際、私が週2時間、この学級の授業に入った。
そして、もう一人、ベテランの先生にも入ってもらった。
若手の担任が授業を見にきたことがあった。
教室に入ってしばらくすると、いつも注意をしている児童を注意しにいった。
私は担任に言った。
「今は私の授業なので、私のやり方でさせて」
授業が進んでいくうちに、落ち着かなかった児童は、落ち着いて授業を受けるようになった。
授業の後、担任に伝えた。
「落ち着かない児童が落ち着くような授業を作ってくことが大切」
「注意ばかりされていると、誰でもイライラする」
「一人一人の児童が活躍し、自己肯定感を得られる授業にしていくべき」
そして、システムも変えた。
それまでは、管理職の判断で
大変なその学級にどんどん
人を送り込んだ。
驚いたのは、担任以外に3人も人が入った時。
4月は担任だけだった学級に
支援員が3人も入る状況になっていた。
それも、私の判断でやめさせた。
そして、役割分担を明確にした。
「大変だから、とりあえず、あの教室へ行って」
そんなことでは、送り込まれた人間は疲弊していく。
私が、方針を明確にし、それに則った役割分担を行った。
さらには、家庭訪問も行った。
こんな大変な状況になっているのに、
担任は、一度も家庭訪問をしていなかった。
私は、挨拶も兼ねて、家庭訪問をした。
担任が、いけない時は、自分一人で行った。
それをきっかけに、保護者とその担任が連絡を取り合うようになった。
3月の終わりまで、私は担任を持ちながら、
この学級の授業を週2時間、行った。
そして、無事、終業式を迎えた。
この若手担任は、結婚を理由に退職した。
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