1月25日。教頭試験の結果伝達。それは突然だった。

02 人生の分岐点

この日、私はいつもより早く起きた。
午前4時。
最近、仕事が忙しい。
自分の授業はもちろん、若手の授業を見に行かないといけない。
研究担当としての仕事だ。

さらに…主幹教諭として、学校運営のこと。
この日は、運営委員会で、コロナ感染拡大時の対応について提案する。

そして、学年の時間割も考えなくてはいけない。
8時間勤務では足りない。

これは仕事のこと。

プライベートのこともある。

母親が70歳を迎えた。
古稀のお祝いを届けるのも今日の大切なことだ。

私は午前6時の少し前に出勤した。
学校に到着したのは6時20分。
真っ暗な校舎。
当然、誰もいない。

校舎に入り、そして職員室へ。
静かな職員室。
いつもの朝の光景だ。

まず、来週の時間割を考える。
そして、配布。
会議の提案文書を仕上げる。

それが終わってようやく授業の準備。
もう既に7時を回っている。

仕事をしていると、電話が鳴る。
欠席の連絡だ。
担任はまだ来ていない。

それはそうだ。
まだ7時過ぎ。

こういった対応をしながら、授業の準備をしていく。

10年以上ぶりの中学の授業。
授業の準備が必要だ。
「ずっと中学だったら、こんなに苦労しないのに…」
と自分の人生を恨みながら、進めていく。

なかなか出勤する教員は増えてこない。
授業の準備にも、集中できない。

そうこうしている間に、クラブの朝練の時間がやってくる。

「中学校はブラック」
中学校はブラック企業〜私の現在地〜
毎日、10回は思う。

さて、授業が始まった。

10年以上ぶりの授業。
準備は念入りにしないといけない。

しかも今年、2つの学年を担当している。
毎週、授業の準備は、7時間分。

自分の人生を恨むことは
毎日20回。
渡された地獄への切符 人生は思うようにならない
さて、そうして、いつものように忙しくしていた。
5限目。
私は空いていた。
校長から声がかかった。

「ちょっといいか?」

「はい」

授業の準備で、頭がいっぱいだった私。

「これは、教頭試験の結果の伝達か?」

そう思いながら、校長室へ。

それは、確信へと変わった。

私が校長室へ入ると、校長はいつもと違った。

校長室の扉を閉めたのだ。

つまり、他の者には聞こえないようにしたのだ。

ソファーに座る私。

1枚の紙を握りしめて、私の前に座る校長。

「教頭試験の結果が来た」

予想通りであった。

「試験の手応えがどうだったかは分からないけれど…」

私は校長の話を聞いてはいたが、意識は校長が握っている書類。

そこに「登載」と書かれているか。

裏をこちらに向けている校長。

透けた字を必死に読もうとする私。
しかし、読むことは無理だった。

前置きを続ける校長。

そして、ようやく結果が…

「登載」

「やった!」

「ようやく!」

「頑張ってよかった!」

私は教頭試験に3回目にして、受かったのだ。

仕事を終え、退校する。

しかし、まだ大事なことがあった。

母への古稀祝い

母に届けた。
父は不在だった。

教頭経験の結果を伝えた。

両親はともに気にしていた。

期待してくれていた。

3度目の正直。

合格したことを伝えた。

母は嬉しそうに笑ってくれた。

父に伝えるように言った。

母は
「当たり前でしょ」
と言った。

そして、最後に古稀のお祝いを伝えた。

「まだまだ元気で長生きしてよ。2人とも。」

「息子が校長になる姿をみるまでは」

あと10年少々。

新たな目標。

そして、自分なりの親孝行の道筋がみえた瞬間であった。






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