2月1日。
忘れられない日になりそうだ。
それは突然だった。
5限目、授業を終え、職員室に戻る。
校長が
「教育長が話をしたいと言っていた。電話をしてくれ」
私が電話をすると、教育長は
「話をしたいことがある。今から時間があるなら来てほしい」
私は教育委員会に向かった。
教育長室に入ると、教育長から教頭試験の合格のお祝いの言葉をいただいた。
「2年前に、無理を頼んで中学校に行ってもらったから、無事受かってよかった」
「おめでとう」
嬉しいお言葉であった。
1月25日。教頭試験の結果伝達。それは突然だった。
この日、私はいつもより早く起きた。 午前4時。 最近、仕事が忙しい。 自分の授業はもちろん、若手の授業を見に行かないといけない。 研究担当としての仕事だ。 さらに…主幹教諭として、学校運営のこと。 この日は、運営委員会で、コロナ感染拡大時の...
だが、当然、これは前置きだ。
「来年度、教頭になれるかは分からない」
「地区の状況を考えると難しい状況だ」
つまり、私が入る教頭の枠がないのだ。
教育長は続けた。
「教頭になれたとしても、遠方の学校」
「もしくは都道府県の教育委員会」
「ゆくゆくは、また戻ってきてもらうつもりだが」
私は答えた。
「ここに戻ってこれる。それが強く願っていることです」
「小学校も中学校も経験したこの地区で、将来やれるところまでやりたい」
「そのためにも、外で勉強してきたい」
正直な思いであった。
すると教育長の話は先ほどから少し、言い方が変わった。
「実をいうと都道府県の教育委員会から話がある可能性が高い」
「話があれば、推薦しようと思っている」
「それでいいか」
私の答えは決まっていた。
「はい。行きたいです」
もう少し若い時に行っておきたかった。
そうは思ったが、
「人生巡り合わせ」
私に教育委員会に行く、流れが来たのだ。
しかも「都道府県の教育委員会」
私の人生は大きく動き出した。
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