2月5日。残り2ヶ月の私の身の振り方

03 教育委員会

今年度、忙しい一年を過ごしてきた。
主幹教諭でありながら、学校運営に大きな影響を与えてきた。
研究担当であり、校内の研修を進めた。
GIGAスクール構想のまとめ役も務めた。
コロナ禍での学校運営についても、私が原案を作り、それがほぼ承認された。

やりがい、よりも、とにかく忙しい一年だった。

その私が、学校を去る。

今年度、私にいろいろなことをさせた校長は、さぞ困るであろう。
私の後任となる人がなかなか思い浮かばない。

そもそも、私もあと一年はいる可能性が高い、と思っていた。

本音としては、今年度を最後に、異動したい、そう思っていた。
だか、研修だけでなく学校運営に携わることにより、来年度、よりよくしていきたい、腰を据えて本格的に進めていきたい、そう思うようになってきた。

1月に入り、来年度の方向性を考えはじめた。
2月は、それを受けて、具体的にどうしていくか、提案することとなる。

1月の終わりの段階で、来年度のことはおぼろげながらも見えてきた。
そして、提案文書を作ってきた。

それは、あくまでも、
「自分がいたら、こうする」
というものである。

ところが、2月1日。
来年度は私がいないことが、ほぼ決定。
教育長から、あそこまで話があるということは、よっぽどのことがない限り、私は都道府県の教育委員会に行く。

あと2ヶ月。
来年度いない私は、来年度のことをどのように考え、どのように提案し、どう振舞っていけばいいのだろうか。

先ほども述べたように、出来つつある来年度の計画は
「私がいる」
ことが前提となっている。

「私なら、こうする」
という計画だ。

私がいない来年度に誰がしてくれるのか。

謙遜せず、言わせてもらうと、私ほどの企画力、実行力がある人は、今の学校には、なかなかいない。

今年度、校長から任されたのも、その辺を買っていただいたと思っている。

そして、1年間やってきた。

この1年で、進めてきた私がいなくなった2年目。
誰がするとしても、簡単ではない。

1年間いろいろなことをしてきて、2年目の来年度は大きく変えていくタイミング
「改革」
と位置付けたい、そう思っていたのだ。

いつもの私なら、めざすところを明確にして、来年度の計画を提案するが、本当にそれがいいことなのか。
次の人を苦しめることになるのではないか、そう考えてしまう。

そして、計画が実行されなければ、いなくなった人のせいにされることは、想像に難しくない。

「できない計画を立てて、自分は出ていった人」
になるのだ。

そんなことを気にしていては、何もできない。
そうは思うが、
「飛ぶ鳥、後を濁さず」
でいきたいものだ。

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