私が教師をしていて、嬉しい言葉。
授業が終わったときに子どもが
「えっ、もう終わり?今日の授業、早く感じた」
そして、もう1つ。
保護者の言葉。
「子どもが変わりました」
今回は、2つめの
「子どもが変わりました」
について、語る。
小学校の担任をすること、7回。
この言葉を初めて聞いたのは4回めの担任をしたとき。
それまで、
「先生が担任で良かったです」
「下の子も、先生に担任してもらいたいです」
という言葉はいただくことがあった。
これらも嬉しいものであった。
でも、それ以上に嬉しい、担任冥利につきる言葉をもらった。
それは、小学校の赴任2校目。
私は、望まれてその学校に異動した。
その学校が、6年生を担任できる先生を探していた。
しかも、しっかりと指導できる男性の先生。
前年度、その学年は5年生。
優しい若い女性の担任。
崩壊した。
つまり
「学級崩壊」
しかも、中心は男子児童。
この学級をなんとかできる先生に来てほしい。
しかも、6年生担任。
最高学年の6年生が崩壊したままだと、学校全体も大きく乱れることになり得る。
周りの噂通り、私はその学校に赴任した。
初日から、崩壊の原因と言っていい、男子児童達との戦いが始まった。
私は、
「望まれて来た」
私は、
「救世主になる」
本当にそんな気持ちで、子ども達と関わった。
初日から、問題の男子児童達のボス的存在の子が、校長に
「明日から学校に来たくない」
と言いにいくようなスタート。
だが、私は、全く迷いはない。
「建て直す」
「ダメなことはダメと、しっかり指導する」
連日、子ども達との戦いが続いた。
すると、4月の学級懇談会。
大勢の保護者が出席してくれた。ほとんどが母親。
私は、自分の方針を熱く語った。
わずか2週間だが、子ども達の変化も伝えた。
私の説明が終わった途端、拍手が起きた。
「先生に来てもらって良かった」
「もっと早く来てほしかった」
私は、このままの方針で、続けていっていい、と確信した。
それからは、いろいろとあった。
ボス的存在の家に家庭訪問に行った。
残念ながら、よくないことがあり、それについての説明だ。
今年度のことだけでなく、昨年度までのことなど、いろいろな絡みで起きた指導であった。
父親が
「うちの子だけが悪いんじゃない!」
と逆ギレもしてきた。
ある程度、予想できたことだ。
だが、伝えるべきことは伝えないといけない。
そして、最後に父親は、こう言った。
「校長は、この学年の男子連中を押さえつけるために、
先生を呼んだんやな」
私は、悪い気はしなかった。
事実であり、そう言われて来た。
その時の父親は、怒っているのではなく、納得したような表情だった。
そうこうしている間に秋を迎えた。
学級は落ち着いた。
就学旅行でも、問題なく2日間の行程を終えた。
就学旅行の最後に、校長が子ども達に言った。
「あなた達のこと、初めて信用した」
発言としては、よくないかもしれない。
しかし、実情を知っている子ども達にとっては、褒め言葉だ。
そして、私にとっても、最上の褒め言葉だ。
でも、さらに、これを上回る褒め言葉をいただいた。
11月には、学校アンケートがある。
保護者が学校に対しての、評価を行うアンケートだ。
アンケートを書いた保護者は、封筒に入れて、学校に提出する。
それを預かり、アンケートの中身を見ずに、担当である教頭に渡す。
数日後、校長に呼ばれた。
アンケートに良からぬことが書いてあったのか?
思い当たるとこは、ないこともない。
必死でやってきた。
真剣にやってきた。
怒鳴ったこともたくさんあった。
校長室に入り、アンケートを見せられた。
校長が指を指したのは、自由記述の欄。
「何かあれば、書いてください」
そこに書いてあった。
「担任の先生が、子ども達のことをよく見て、熱意を込めて指導してくださりました。
そのおかげで、子どもから聞きます。
『学級が変わった』
と。
我が子も6年間で初めて、学級が楽しいと言っています。
ネガティブな我が子も、先生のお陰で変わりました。
初めていい先生に出会えました。
他の学校から引っ張ってきてくれた校長先生にも感謝しています」
子どもを変えることができた。
それを喜んでもらえた。
私は本当になれたのかもしれない。
救世主に。
成功スキル「早起き」
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