教育委員会にきて、驚いた業務。
それは、挨拶文を考えること。
自分がする挨拶ではない。
知事や教育長、課長がする挨拶を考える。
国会での答弁も同じだ。
事務方が原稿を作り、答弁に関する情報を持っている。
そういう様子を報道でみて、知ってはいたが、まさか自分が挨拶文をつくる立場になるとは…。
しかも…何十年に一回が回ってきて、挨拶文を考える羽目に。
さらに…この挨拶文を完成させるまでの道のりは、とてつもなく長い。
まず、資料をもとに考える。
挨拶なんて、考えたこともない。
他の事業の挨拶文を参考にするが、内容が異なる。
作るのには、とても時間がかかる。
だが、これはあくまでも入口。
ようやく完成させたものだが、決して満足ができる内容ではない。
すると「直し」ということになる。
そのときに、具体的に「このように直せ」なら、ただただ直すだけで済む。
しかし、そうはいかないこともある。
資料だけ渡されて
「これを参考にして作ること」
ますます、文章がごちゃごちゃしてくる。
そんな状況でも、仕上げないといけない。
仕上げても…自分が作った時のものは半分もない。
ほぼ原型がない状態になる。
心を無にして、ただただ直して、提出するのみ。
それが一ヶ月続く。
ごちゃごちゃしてきて、自分のものではなくなる。
それを提出する。
指摘を受ける。
もう、自分の文章じゃなくなる。
でも、指摘を受ける。
修行以外の何物でもない。
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