#17 主幹教諭ではなく、教育委員会へという噂と動き

00 序章

「中学校に異動して、主幹教諭に」
という可能性を知った私。

それはあくまでも「可能性」

運命は天に任せる気持ちであった。

その時に知った「噂」と「動き」

私の行き先に関することだった。

その行き先とは
「教育委員会」

実は、2年前に、私が教育委員会に行くと言う噂が流れた。

その時に初めて知ったのではあるが、教育委員会(指導主事になると言うこと)へ誰が行くか、
毎年のように予想をしている人がいた。

その人の予想はかなりの確率で当たる。
それは、なぜか。
元校長で、人脈のある人物だからである。

2年前、私は「指導主事候補」と言う噂が流れた。
私は、悪くない気分であった。

それは
「指導主事になりたかった」
からである。

自分で言うのはなんだが、私の教師人生
「人よりも、いろいろな経験をしてきた」
そういう自負がある。

「指導主事」

私にとって、スキルアップになり、教師としての幅を広げる。
大歓迎である。

そう思う私ではあったが、対抗馬がいた。

噂は
「私、か、対抗馬」
であった。

「例年、噂に上がるのは1人。今回は2人。どちらか分からない」

そんな状況であった。

私は、指導主事になりたかった。
しかし、懸念材料があった。

まずは、私の勤務年数。
今の学校に来て、まだ1年。
1年で異動するなんて、異例中の異例。

また、対抗馬は私より歳上。
人事に年齢は大きい。

しかも、その対抗馬は、教育委員会との先進校視察など、
着々とキャリアを作っていた。

2年前、結局私は指導主事になれなかった。
対抗馬は、指導主事になったその人ではなく、
私が対抗馬だったのだ。

ところが、である。
今思えば、対抗馬。
つまり、
「次」
であること。

2年前は、私は「対抗馬」
そして、今回、私は

「本命」

であった。

懸念材料はない。




今の学校には3年勤務。
そして、学校の児童数が減少。
指導教諭の配置基準を下回る学級数となった。

私が今の学校に残らなければいけない理由は無くなった。

2年前は「対抗馬」
そして、今回の噂は「本命」

いよいよ、私の教師人生に
「教育委員会」
「指導主事」
という新たな場所が記されれる。

そう思っていた頃、確定的な事実を知ることとなった。

それは、私が「指導主事になる」という確定的な事実だ。


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