#19 弄ばれる私の教師人生

00 序章

指導教諭2年目。
11月に教頭選考試験を受けた。
12月に中学校に移動して主幹教諭になるかもしれないと言われた。
12月の末には私の後任として教育長に指名された元同僚が指導教諭の試験を受けた。

私の教師人生の行き先はほぼ見えた。

「教育委員会の指導主事」である。

あと3ヶ月で、私の教師人生のうち
「教諭」が終わる。

指導主事になれば、次に学校現場に戻ってくる時には
「管理職」だからである。



年が変わった1月。

懐かしい人から電話がかかってきた。

およそ5年前、組合の役員をしていた時
支部長をしていた人からである。

「ご無沙汰しています。」

本当に久しぶりだった。

「少し時間を作って欲しいんだけど」

「えっ、なんでした?」

私は、全く分からなかった。

「実は、次期支部長をお願いしたい」

青天の霹靂とはまさにこのことだ。

私はおよそ5年前、組合の役員をしていた。
引き受けた時は2年間という約束であった。

しかし、私は仕事ぶりを買われ、
3年間、役員を務めた。

その3年間は、激動の3年間であった。

新しい人事評価制度が導入されたり
10年に1度まわってくるか来ないかの定期大会がまわってきた。
選挙も行われ、政権交代が実現した。
のちに私がなる指導教諭や主幹教諭という「新しい職」も始まった。
3年間は毎年忙しかった。

3年間の任期を終え、私は役員を降りた。

役員を降りると、次は「支部長」
もう、その役職しかない。
つまり、私はNo.2まで登り詰めたのだ。

降りた後、私は
「支部長になってほしい」
といつ声がかかるか、気になっていた。

1年が過ぎ、2年が過ぎ、そして、3年目となった。

その時、私は声がかかった。

「指導教諭」
の話である。

その時、私は思った。

「天は、私に指導教諭へ、つまり管理職への道を歩ませようとしている」

この歳になって思う。

「人生とは巡り合わせ」

いくら自分自身が希望していも、巡り合わせ
つまりタイミングが合わなければ、その希望は簡単には叶わない。

言い換えると、
自分自身が希望していなくても、
巡り合わせに従うしかない。

それが人生。

人生の分岐点で、私には「指導教諭」という道が開けた。

それに逆らうつもりもないし、逆らえない。

指導教諭2年目。

「支部長への就任の依頼」

私は断った。

支部長になった時のことをイメージしたことは何度もあった。

それは実現しなかった。

しかし、声をかけてもらえたこと。
それは、私にとって、大きな名誉として、心に刻んでおく。






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