苦しいときに助けてくれる人がいる。
本当にありがたい。
この夏は2人の女性に感謝。
まさに「感謝しかない」
まず、1人目。
大きな行事の昨年度の担当者。
夏までも、いろいろ教えてもらった。
そして、この「試練の夏」
私が主担当で、この人が副担当。
2人で行事を進めていくのだが、あくまでも、主は私。
でも、かなり助けてもらった。
「業務を多くもたされている」
「しかも、1年目なのに」
そう私を励まし、助けてくれた。
本当にありがたかった。
この人じゃなかったら、私はやり遂げられなかったと思う。
それぐらい、助けてもらった。
そして、もう1人。
この人とは直接関わりがない。
同じ課ではあるが、同じ業務を担当しないから、関わりがない。
私が仕事のみをする心が無の状態のマシーンと化していたとき、視線を感じることがあった。
心を無にしている私は、確かめることもしなかった。
ただの勘違い、と気づいてしまったら、マイナスの感情が生まれる可能性があるからだ。
そんなリスクは避けないといけない。
それぐらいギリギリの精神状態の日々。
だが、また、視線を感じた。
感じたが、確認はしない。
「勘違い勘違い」
「とにかく仕事だけをしよう」
そう思っていた。
3度目。
気にはなったが、仕事へ意識を向けた。
すると…
「大丈夫?」
「無理のないようにね」
視線は…そう間違ってなかった。
気にかけてくれたのだ。
それからも
「あと、少しだね」
行事当日も
「昼食とれた?」
「こちらは任せて、食べてきて」
ありがたい。
その時に食べたのはお弁当。
冷めていたが、温かい気持ちになった。
行事を終えた後、駅から都道府県庁に向かっているとき、その人が前を歩いていた。
私は小走りで駆け寄った。
そして、感謝の気持ちを伝えた。
「本当にお疲れ様」
「大変だったでしょ」
「しかも1年目から」
「業務が重なり過ぎだしね」
お礼の気持ちを伝えたくて、こちらから声をかけたのに、再び労いの言葉。
本当にありがたい。
そして、最後の言葉。
「大変だったと思うけど、やり遂げたね」
嬉しい…うん?ちょっと待てよ…
やり遂げた…やり遂げてしまった…のか?
やり遂げた、というのとは、これぐらいなら、できるということを証明してしまった?
この世の中は、正解があるのか、ないのか、私には全く分からない。
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