1月29日。現在の「教育長」と私の繋がり

02 人生の分岐点

現在の教育長。
「素晴らしい人物」と評判の方。

教育長をめざしている(誰にも言えない)私とへ雲泥の差。

そんな教育長と、同じ職場になったことはない。
しかし、4度、関わりをもつ機会があった。

それはおよそ7年前。

当時、現教育長はある学校の「校長」であった。
教諭だった私の勤務校とは別の学校だ。

その時、私も役職をもらっていた。
「地区の研究会の事務局長」
そして、現教育長が
「地区の研究会の会長」

現教育長が「トップ」
そして私が「事務方のトップ」
であったのだ。

その時が初対面。
「事務局長」となっていた私は気合が入っていた。
少々、気合が入り過ぎており、
変更してはいけないことまで変更してしまった。

それを諭すように指摘してくれた。
そしてうまくまとめてくれた。

それが現教育長。

2度目の関わり。
それは、「指導教諭」になるとき。
この話は、当時の勤務校の校長からの打診であった。
しかし、私を指名してくれたのが「現教育長」であり、当時すでに教育長に就かれていた。
管理職をめざし指導教諭選考試験へ〜2017年秋〜
そして、私は指導教諭として2年間をその学校で過ごした。
我ながら、指導教諭として、さまざまなことに取り組んだ。

3度目。
教育長が学校に足を運ばれた。
私が「まさかの人事」を受けたあの日だ。

あの日のことは忘れない。
渡された地獄への切符 人生は思うようにならない
そして、4度目。
これは2年間にわたる。
中学校に赴任した私。
赴任1年目にもかかわらず、「教頭試験」を受けた。
受かるとは思っていない。
しかし、志願した。

すると、私に大量の書類が入った封筒が届いた。
教育長からであった。
中には、教頭試験の面接の参考になる資料であった。
大量の書類の重みだけではく、教育長が私を気にかけていただいている
それが大きな励みとなった。

しかし、私は合格できなかった。

そして、今年。
再び、私は教頭試験を受けた。
忙しさのあまり、前年の教育長からの重みのある贈り物のことは忘れていた。

教頭試験前日。
3度目となる私は、特別な緊張はなかった。
夜、家でくつろいでいると、携帯電話がなった。
未登録の電話番号。

電話に出るとそれは
「現教育長」

明日の試験を頑張ってくるように。

教育長からのエール

私は

「嬉しいです」

素直な気持ちを伝えた。

ほんの短い時間の電話であったが、
教育長は現校長に電話をし、
私の電話番号を聞き、
電話をしてくれたのだ。

そして私は教頭試験に合格をした。
1月25日。教頭試験の結果伝達。それは突然だった。
次に教育長に会うときは5度目となる。

その時は

「合格の報告だ」





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